都封じ。
2021年 03月 10日
東京で、キレイな建物とか、サービス見てて、「バイアス!」て思ってしまう。キレイ過ぎて。
以前の建物は、嫌悪感とか、悪いウワサがとりとめも無くて、壊さないといけなくなったんちゃうかー。
とか、うがった見方をしてしまう。関西は、京都があるからだろうか。京都の人とは、口論にはならないけど、自分の日本人としての、「普遍的な悪意」とか、「自意識」を指摘される感じ。否定出来ない。。。
東京は、悪くはないけど、音楽やってます。て格好してると、「つぶしてやる」「売ってやる」の極論になっていくように思う。特に酒の席では。そーっと、関西で、いい感じでいたい。と言う思いは、なかなか汲み取られない。
資本の動きとか、建物の老朽化もあるやろうけど、「良い感じ」を時代に合わせてやり過ぎなせいか、「今は良いやろうけど…」て、夢中になれない。…バイアスだろうか。
inner city songs は、何処にいても、誰といても、普遍的に感じる、人間の情感とか、人情が無くならないで欲しいな。って思ってた。定食屋のおばちゃんが、「元気出しや」とか言ってくれるの。お金じゃない感じ。
孤独なら孤独な人の「バイアス」があって、友達多い人なら、多い人の「バイアス」とある特定の「バイアス」が無いとか。
消費するとか、恋するも、時代時代のステレオタイプな「バイアス」を身につける作業だと思う。
偏見を大きく、現実を塗り替えれば「ストーリー」だし、「キャラクター」だし、表現だし、「バイアス」をなんとかしたいと云う軋轢の中、生きている。
ある意味、バイアスをコントロールするのが商売。バイアスを見抜いて消費しだすと、なんか、物作りを始めてないですか。
多様性とか言うけど、松下幸之助さんが、
「人の為になるものを売りなさい」
と言うのは、永遠に人類がある限り大切な価値観やと思う。
多感な頃、バッドエンドばっかりで病んでた。フツーにお茶して、みんなと笑っていたい。自分が一番は、若い頃大事だと思うけど、考えてると虚しくなる。
21世紀!!!!!!!